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不思議だ!音楽とは、本当に不思議だ!

今日、東京芸術劇場にコンサートを聴きに行った。指揮は、テミルカーノフ。演目は、チャイコフスキーのくるみ割り人形と、チャイコフスキー交響曲第4番。  いろいろ、書こうと思えば書くこともできるが、大事なことだけを、簡潔にまとめたい。  第1楽章から、涙。彼は、先週のブラ4でも言えるが、楽しいところを楽しく演奏しようとしない。悪く言えば、雑なだけだが、その裏には何か意図が隠されているように思える。第1楽章の展開部の盛り上がりも、本来なら溢れる歓喜を余すところなく響かせるはずなのに、彼は乱暴に、勢いに任せて、まったく音楽を楽しもうとせず、進める。テンポも、かなり速い。(ムラヴィンスキーを思い出す)楽しむことを拒む音楽。  それでいて、悲しい部分では、思いっきりテンポを落とすのだ。第2楽章のネチネチぶりが凄かった。クサイほどにテンポを落とし、楽器に哀歌を歌わせる。  また、涙。悲しい、そう、これは悲しいだ。ぼくは、悲しんでいる。しかし、なにが悲しいのだろう?ぼくは、単に悲しい音楽を聴いているだけだ。ぼくは、悲しいという体験を、まさに今、している最中だ。いったい、ぼくの中で、なにが起こっているんだろうか?そうおもった。ぼくは、そのときの奇妙な体験をなんとか言語化しようとするのだけれども、僕の文才ではできない。なぜ、ぼくな悲しいのか?これが、悲しいなのか?悲しい思いをしていないのに、悲しい感情が目の前に立ち表れる。不思議だ!音楽とは、なんて不思議な現象なんだろう?  第3楽章。ぼくはここで、なぜここでピッチカートが使用されたのか、考えた。テミルカーノフは、無感情に、勢いに任せて進める。あっけない。あっさりしすぎている。そこに、ほのかなむなしさが漂う・・・と、その瞬間、強烈な轟音が炸裂する。その悲劇的な始まりで、すべてを理解した。第3楽章の抑制は、第4楽章を劇的に開始するための複線だったのだ。だからこそ、この楽章はピッチカートでなければならなかった。これは、実際にライブに接しないと、わからないことだ。(シンバルが鳴り響いたときの、ダイナミクスが録音では入らない)快楽は、抑制によって引き立つ、これは一つの真理だ。夜から昼への、あまりにも急激な変化、衝撃!  第4楽章は、ひたすら暴力的に、そして悲しいところでは思いっきりテンポを落としメランコリックに、音楽は進む。コントラストが強烈なほど、心の揺れも強まる。悲劇的な響き、これがすばらしい。概して、この第4楽章は、フィナーレがスポーツ的な、無内容な盛り上がりになることが多いのだ。そして、そのような演奏を聴くたびに、ぼくはがっかりする。しかし、テミルカーノフは、そこをわかっている。  第4楽章の最後、運命の主題が鳴り響いて、消えていくとき、ぼくは目を閉じた。そこから後の、フィナーレを、ぼくはよく覚えていない。気づくと、曲が終わっていた。ぼくの頭は、ガンガンと痛かった。いったい、なにがおこったのだろうか?

不思議だ!音楽とは、本当に不思議だ!2007年5月27日