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破壊の神

チョン・ミョンフンのコンサートに行ってきた。 なんと、学生席5000円だが、それでS席に座れるのだから、安いもの。 曲目は、ドボルザークの交響曲第8番とブラームスの交響曲第1番。 オケは、アジア・フィル。 このアジア・フィルというのは、アジアの各国から名人たちを集めて結成された、いわば、オールスターのようなもの。 否が応でも、期待してしまう。

響きは、分厚かった。僕は基本的に、バイオリンの音を基準にしてオケの性能を見るのだけれど、今日のアジア・フィルは、濃いコーヒーのような響き、深みがあってコ  クがある、熟成に熟成を重ねたコーヒー豆による芳醇な味わい。(なんのこっちゃ)。しかし、とびきり陶酔的に美しい、というわけではない。つやは、ない。

チョンの音楽は、流れるようだ。そして、特に弱音の歌わせ方が、うまい。第2楽章は、美しかった。はじまりから、ゆっくりとテンポをとり、楽器を歌わせる。そして第2楽章の最後、バイオリンの低音のトモレロから、だんだんと音楽が盛り上がってゆくところは、とても気持ちが悪かった。

 第4楽章。初めの盛り上がりは、しまりのある響き。さすが、オールスターだと思った。中間部、渦巻く弦を突き抜けて、金管が鳴り響いたとき、最高に音楽はカッコよかった。その瞬間、涙があふれた。かっこいいものに触れても、僕は涙を流すのだ。彼の演奏はドラマチックだ。エネルギッシュだ。炎だ。彼には、赤が似合う。

しかし、ここからが問題なのだ。中間部のフィナーレが鳴り響いた後、音楽は牧歌的になってゆき、またチョンが穏やかに歌わせるんだ、これが。平安、穏やか、そんな言葉が似合うひと時。勝利を収め、ついに平和が訪れた・・・そんな時間。と次の瞬間、平和は崩れ去った。爆発が起こった。    僕は目をつむっていたので、何事が起きたのかと思った。目を開けたら、チョンが指揮棒を振り回し、暴れているのだ。ああ、美が壊されてゆく!穏やかな、平安が破壊されてゆく!いったい、なにをしているんだ!アジア・フィルも今まで美しい旋律を奏でていたのに、突然汚らしい響きに感じた。汚い!野蛮だ!やめろ!平安な時間を返せ!    ぼくはわけもわからず、最後を迎えた。曲が終わった瞬間、拍手の嵐。立ってる人までいた。しかし、ぼくの心は、理解できないわからなさから、拍手をする気にならなかった。まったく、音楽がわからない。いったい、最後はどういう意味を持っていたのだろうか?あんなに野蛮な終わり方をするなんて!信じられないよ!ドボルザークも、なにを考えて作曲したんだろう。これでは、曲として何もまとまりがない。たとえるなら、ウルトラマンがバルタン星人を退治したあとに、今度はウルトラマンがビルを破壊し始める感じ。こんなのって、ないよ。    ぼくは、休憩時間になると、許せない、こんなの許せない!と思いながら、ロビーでパンをかじっていた。貧乏人丸出しだった。  そのうちに、わかった。ドボルザークがなにを表現したかったのかが。    この曲は、破壊のすばらしさを教えてくれるものなのだ。  努力して努力して、やっと築き上げたものを破壊する快感!暴れまくるチョン・ミョンフン。それは、破壊の概念の音楽化だった。美しさと対立させることで、破壊する快感は余計に高まる。   今日あらためて彼がウィーン・フィルを振ったやつを第四楽章だけきいたけど、やっぱり思ったことはかわらない。

ああ、恐ろしい、恐ろしい。 いったい、なんて曲を書いたんだ!ドボルザークは!

悪魔的嘲笑!破壊の美!陵辱の喜び!背徳的なフィナーレ!

「 人間があれほど破壊と混沌を愛するのは、目的を達し、自分たちが創っている建物を完成するのを、自身、本能的に恐れているからではないだろうか?  もしかしたら、人類がこの地上において目指しているいっさいの目的もまた、目的達成のためのこの不断のプロセス、言い換えれば、生そのものの中にこそ含まれているのであって、目的それ自体の中には存在していないのかもしれない。人間は到達を好むくせに、完全に行き着いてしまうのは苦手なんだ。」(ドストエフスキー 地下室の手記)


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