EverClassic

感性を研ぎ澄ましたいと思った

今年初めてのコンサートに行った。やっぱり最初は読売日響でしょう。去年はたぶん一番多く今年もお世話になります。 しかし、寒いし、鬱だしで、あまり聴きたい気分じゃなかった。寝ることについて、あいかわらず頭を悩ましていた。 学生整理券を持って並んでいると、明らかに若者でない、おじさんとおばさんに前後を挟まれた。とても不快だった。なんでこんなやつが学生券を買うんだ。顔的に学生じゃないだろ。当然、案内された席も両側がその人たちだったので、席を移動した。あ~、やだやだ。

こういう、差別的な物言いは誰もがむっとするだろうが、その時のぼくは、ちょうど電車の中でワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を読んだ直後だった。

「二十歳の頃に高鳴った歓喜の鼓動は、だんだん鈍くなっていく。手足は弱り、感覚は衰える。醜怪な人形のような姿に衰え、恐れのあまり近づけなかった情熱や、身を任せる勇気のなかったすばらしい誘惑の記憶ばかりに苛まれるようになる。若さ!若さ!若さをのぞいたらこの世になにが残るというのだ!」

若さ、若さ!学生席に座ることは、若者の特権!若者は特権階級なのだ!学生席にじいさんばあさんが座ることは、僕の優越感を踏みにじる行為だ。そんなことで優越感を感じている僕も愚劣だが、それにしても不愉快だ。

そういう僕も、だんだんと年老いてゆく。一年前の僕に、今のぼくは感動する感性においてはかなわない。どんどんと、感性が鈍くなってゆく。二十歳の頃に高鳴った歓喜の鼓動は、だんだん鈍くなっていくのだ。ああ、いやだ、いやだ。 もう、ぼくもそろそろ若者とは言えない年頃になってきている。肉体的にはもちろん、精神的な面も。かつてのような野心もない、勇気もない。下り坂だ・・・終わってゆく。高邁な野心は現実と折衷し、平凡な人生に順応する。それが、成熟。 僕の青春は、終わってしまうのか?何もなかったではないか?恋は?冒険は?恐れのあまり近づけなかった情熱や、身を任せる勇気のなかったすばらしい誘惑の記憶ばかりに苛まれるようになるのか?それはつらい。 今しか感じることができないことがある!年を取れば、知識は増えるが、感性は衰える。僕はそのことに耐えられるだろうか?よしんば、将来出世して、ヨーロッパに旅行して一流のオーケストラを聴いたとしても、その感動は、東京の三流オケの演奏よりも劣る可能性だって、大いにある。 僕は、全感覚を傾けて、美に浸らなければいけないんだ。空が快晴なのに、教室に閉じ込められていてはいけないんだ。自然を感じるべきなんだ。

この日は、最後のフィナーレで涙がこぼれた。まだ、僕の感性は健在だ。