音楽劇『ヴォイツェク』虫けらのような存在、地獄はどこにあるのか?
平日は陰険タジタジな人間疎外にあっている日々ですが、今日は自分よりもモット惨めな人間を見て安らぎを得るために、赤坂ACTシアターに『ヴォイツェク』を見に行きました。
原作 : ゲオルク・ビューヒナー 脚本 : 赤堀雅秋 演出 : 白井晃 音楽 : 三宅純 美術 : 松井るみ 照明 : 齋藤茂男 音響 : 井上正弘 衣裳 : 伊藤佐智子 ヘアメイク : 川端富雄 アクション : 渥美博 振付 : 井手茂太 歌唱指導 : 満田恵子 舞台監督 : 有馬則純 技術監督 : 大平久美 演出助手 : 西祐子、松森望宏 票券 : インタースペース 宣伝 : ディップス・プラネット
出演:山本耕史/マイコ/石黒英雄 良知真次/池下重大 青山草太 /日比大介 駒木根隆介 加藤貴彦/半海一晃 春海四方/真行寺君枝/今村ねずみ 団時朗
ネタバレ注意!内容について
ヴォイツェクというと、20世紀オペラの最高傑作の一つ。自分も魅了されたオペラ。今回、音楽劇として赤坂ACTシアターで上演されるということで、行ってきた!
話の流れは、やや脚色があるものの、オペラの原作とあまり変わらない流れ。ふてぶてしい大佐、スケベ鼓笛長、マッドサイエンティストな医者などなど、どうしようもない人たちは健在だ。特に好きなシーン、ドクトルがヴォイツェクの立ちションベンに対して怒りまくるシーン、とても好きだ。
演出は、あまりお金がかかっていないが、余計なものはなくて良い。シンプルで陰湿な演出。場面展開の切り替えでの照明や音楽の華やかな展開はなかなかよい。ヴォイツェクのマリー殺害のシーン、池の演出がイケていた。水しぶきとか、リアルさを引き立てる。
主演は山本耕史さん。彼はメチャクチャGoodJobでした。善人が追い詰められていき、キチガイへと変貌していくさまは、劇の間中ずっと引きつけられっぱなしでした!特に手の動きや身体の揺らし方、セリフの微妙な言い回しなどなど・・・細部まで凝った演技。
加えて、腹の底から歌い上げる歌。力強い。山本耕史さんって、歌える人なんだと驚く。
これは、山本耕史さんのビデオメッセージ。
それから、マリー役のマイコさん。背筋がぴんと貼って姿勢がよく、劇中にバレエのシーンなどが出てきて、立ち振舞はまったく貧乏人ではなくて貴族だった。踊りのシーンでダンスうますぎて驚く。
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今回は、音楽劇、つまりミュージカルだ。舞台の脇に演奏隊がいて、そこから音楽を奏でる。ジャズのようでもあり、民族音楽のようでもあり、現代音楽のようでもありで、ひとことでは表せない音楽。ただし、斬新な響きは聞こえなかった。劇をもり立てるサブ的な音楽。
虫けらのような存在、それでも人生に意味はあるのか
ヴォイツェクは今から150年以上も前に、20代前半の若者によって書かれた。自分も同年代の時に初めてオペラをみて、世の中には天才がいるんだなと衝撃を受けたものだった。
人間のあらゆる美徳が否定される、人間がゴミのように扱われる。今日も家に帰宅した時に家の壁にクモがいたので、なにも感じずに殺した。そんな存在。自分もヴォイツェクほどではないが、どうでもいいような虫ケラとしてこの世を生きている。こんな世の中で、生きていく意味はあるのだろうか?
ヴォイツェクは歌いあげる、それでもこの人生はつづいていく、と。
このフレーズが、劇中になんどもなんども繰り返される。こんな陰険な、救いのない劇を見せられ、さらには舞台から観客にたいして『これが劇だけの問題だと思うなよ。日常こそがこの悲惨な世界なのだ』とあからさまな演出で訴えかけられる。
こんな悲惨な人生でも、この人生は生きるべきなのか?
その答えは、最後の道化師のセリフの中にある。真理はいつも道化師がいう。このセリフは原作にもでてこない、脚本家の意図。それは、自分の価値観とも合致する。これは解釈の問題だと思うけれども、たぶんこれが一番いいたかったこと。
こんな不健康な劇は、笑い飛ばすのがいい。作品の中に入ってはダメ。うわっ、何このキチガイ、キモ~いと、突き放す精神が大事。
平凡な結末・・・そして日常へ
宣伝の冒頭にあったセリフについて、『彼をつくったのは誰か?』という語りかけ。なんだか二番煎じでチープだ。悲劇は個人の不幸でもたらされるのではなく、社会によってもたらされるという構造。これは劇の中の話ではなくて、身の回りのできごとだというブレヒト的な演出。
オチが想像できるような、既存の枠内で語られるものは求めていなかった。どうせリメイクするならば、自分の想像をはみ出すような展開や演出を期待していた。残念である。
劇の最後のほうで、『劇場からでたら日常が平凡だと思うだろう』ということが語られる。日常ではなくて、劇場が平凡だと思った。