インバル=都響 マーラー・ツィクルス 2013 第Ⅱ弾はじまる!マーラーの交響曲第6番「悲劇的」苦悩することについて
2013年11月2日(土)15時 横浜みなとみらいホール 東京都交響楽団 エリアフ・インバル マーラー 交響曲第6番「悲劇的」
マーラー・ツィクルス後半の始まりである。去年につづき、今年も4公演をききます。
今日の演目は、マーラー6番『悲劇的』。マーラー作品のなかでもっとも陰険な曲。
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久しぶりのインバル・都響サウンド。重苦しくなく、色があるイメージを受ける。インバルの指揮ぶりは、テンポや強弱のコントラストが強め。楽器も突き刺すように演奏させる。
今日の席はホールの一番うしろの席だったので、あまり音がきこえない。そのかわり、打楽器の人たちの頑張りはよく見えた。ハンマー係の会心の一撃も、バッチリ。
音量については、前半は抑えているように聞こえた。普通ならばすこし響かせるような部分も抑制を聞かせているように思う。それは、後半の爆発ヘの付箋だったようだ。第3楽章の恍惚とするような歌(インバルは弦の歌わせ方がとてもいい!)をへて、第4楽章の後半へ向けて、ドンドン音楽は激しく狂い立っていった。
崩壊するようでいて、理性的にコントロールされている音楽、これがインバルのマーラーの魅力。最後は、第4楽章の冒頭が回帰して、名状しがたい不思議なメロディーで終わる。
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自分は、まもなく、うつで倒れてしまいそうだ。そのくらい、気分が最近沈み込んでいる。悲劇的を聴いて、気分は晴れるどころか、ますます塞ぎこんだ。
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「我々はどこから来てどこへ行くのか」、「ひとは如何にして救われるのか」マーラーはこの問を交響曲で表現しているらしい。この悲劇的の結末が暗示するものはなんだろうか?
過去の読書メモから引用
苦悩する人間 ヴィクトール・E・フランクル
苦悩によって、現在生の悲劇的構造を垣間見ます。人間存在が最終的には受苦であること、人間の本質は苦悩する人間、苦悩人であるということです。苦悩する人間はまさに真理のすぐ近くにいるのであり、たやすく真理に気づくのです。苦悩への敢然さ、勇気、これこそが重要なのです。苦悩を引き受けること、運命を肯定すること、運命に対して態度をとることが大切なのです。
ハンマーによっていくども否定されても、それでも立ち上がり前へと進んでいく。最後は、叩き潰されて、終わる。苦悩に立ち向かう存在、それがひとの存在なのだといっているのかもしれない。何かに意味を見出して、それに敢然と対峙する態度を描いている気がする。
この文脈でつかわれる苦悩という言葉は、希望という言葉に置き換えてもよい。